畔蛸(あだこ)西明寺の黒松と時頼伝説   ( 鳥羽市畔蛸町 )

伊勢志摩きらり千選
推薦のことば
A.臨済宗南禅寺派。金剛證寺の末寺。本尊の木造阿弥陀如来座像は鎌倉時代の作品で、境内の黒松と共に市の文化財に指定されている。この寺は、鎌倉5代の執権、最明寺入道時頼が諸国行脚の時、この地を訪れて寺の再建を命じたと伝えられている。(鳥羽市、67、男)
B.時頼伝説は全国各地にあるが、時頼は畔蛸の浜が鎌倉の由比ヶ浜の景色とよく似ているので大変気に入ったと伝えられている。以前、この地に面白の松と称する有名な松があった。時頼が詠じたと言われる「伊勢嶋や畔蛸の浦に来てみればいつも変わらぬ面白の松」の歌が残っている。今の黒松は「面白の松」2世。(鳥羽市、67、男)
             西明寺語本尊阿弥陀如来坐像 2002-2-18 拡大
畔蛸西明寺
  西明寺は鳥羽市の南端畔蛸町の臨済宗南禅寺派のお寺で、時頼の故事で有名です。境内の大黒松も一役かっていましたが、2004年に枯れています。

  西明寺は、住職のお話では、開基は出家後全国行脚で当地を訪れた北条時頼で、開山は帰宋途中船の損傷で当地に立ち寄り草庵を結んだ、時頼の師でもある宋僧、兀菴普寧(ごったんふねい)禅師であるとのこと。およそ1270年代頃でしょうか。

  
ご本尊の阿弥陀如来は平安後期の作、京都平等院鳳凰堂の本尊阿弥陀如来を原型として造られ、兀菴普寧師が帰宋の際、最明寺(古称)のご本尊として祀ったといわれています。
  平成8年に市の有形文化財として指定されました。
 かなり傷んでいたものを平成9、10年に修復を行い現在の姿に。修復前は肌の部分が金色に塗られていたとのこと。 

  寺は平成9年に本堂が改修され、境内ともに新しく、美しく整えられています。
   
在りし日の面白の松2世
  昔、「面白の松」と称する有名な松があって,北条時頼がこれを詠じた云々は、「推薦者のことば」通りです。

  初代の黒松の後の、2代目が右の写真です。姿も大きく堂々として、この近郊ではめったに見られない立派な松で、鳥羽市の指定天然記念物でしたが、残念ながら手当ての甲斐なく、2004年に枯れてしまいました。その頃のお寺の説明板

  しかし
枯れ死直前に、この黒松の若枝を岡山県の森林総合研究所に持ち込んだ結果、挿し木で再生し、今年(2011年2月6日)苗木の植樹祭が西明寺で行われました。
  「面白の松3世」の誕生です。


  マウスをかざして見える画像は現在の境内の姿です
                        在りし日の面白の松2世    2002−10−18
 ご本尊背後に安置される時頼出家像2005-10-31拡大                     
時頼伝説
  北条時頼(1227〜63)は鎌倉幕府の五代執権でしたが1256年に執権職を重時に譲り、出家をし、諸国の行脚をおこなっています。

  途中、畔蛸の地に立ち寄り、浜辺の風景が鎌倉の由比ガ浜によく似ていることから大変懐かしく感じたとされています。時頼に因んで頼浜、頼の田,頼山の地名が残っています。

  時頼が出家当時、鎌倉に草創した寺が最明寺で,時頼は別名最明寺入道とも言われたとのこと。当西明寺との因縁が想像されるところです。
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インフォメーション  

鳥羽市畔蛸町。

 

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