千賀志摩守の墓所   ( 鳥羽市千賀町  )

伊勢志摩きらり千選
推薦のことば
戦国の頃、千賀の豪族千賀志摩守は、九鬼嘉隆に攻められ、三河に逃れて徳川に仕えた。千賀氏一族の墓所が字、岡にあり、五輪塔が数基、当時の面影を残す。(鳥羽市、67、男)
精霊送りに馬の藁人形?
 千賀ではお盆の精霊送りは、この地区のある場所に、藁の馬を作って飾り、皆で拝礼するのだそうです。

  これは1500年代九鬼嘉隆の支配を嫌った千賀一族がこの地を去って愛知県の三河に移るときの故事によるものです。


詳しくは「千賀の盆行事」をご覧ください.
               写真は南千賀司氏提供による2001-10-15  
尾張藩の船奉行として活躍
  千賀氏はもともと姓を越智と名乗り、伊予からこの千賀浦に水軍として移り住んだ一族です.伊勢国北畠氏の支配下にありましたが、九鬼嘉隆に敗れ、永禄年間(1558〜70)に南知多の師崎に逃れます。

  いくつかの戦功があり、天正年間(1573〜92)の頃より徳川氏に仕えますが、後に尾張藩の家臣となり、師崎で知行1500石取りとなり、代々尾張藩の船奉行を勤めました。

  現在も愛知県南知多町の師崎近くの、千賀家の菩提寺でもある正衆寺に、千賀家の墓が残されています。
→正衆寺の千賀家の墓
(南千賀司氏提供)
                 千賀町にある千賀家の墓2003-10-20
                 千賀港2003−10−20拡大
今は観光漁業で頑張っています
  千賀は戸数30、釣り舟や釣堀、貸し筏などのいわゆる観光漁業を生業としています。

  千賀は古くから天然の良港として栄え、船宿や女郎屋などで賑わい、帆船時代にはその操船技術の優秀さを誇り、地元ではほとんどが船乗りとして生活していたそうです。

写真中央の丘が千賀氏の墓のあるところです。

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思いがかなった!
私は、千賀志摩守の墓所がある正衆寺の檀家です。子供の頃より、特別な思いで千賀家代々の墓石を眺めてきました。書物で、伊勢の国千賀村から現在の南知多町師崎の地へこられ、正衆寺を菩提寺とし、くじらを捕獲する漁法を伝えたことをきいています。又、千賀太鼓というものがあります。幕末に官軍と戦って戦死し千賀家は絶へ、その領地を分け与えたと聞いています。今は、地元婦人会で墓掃除等をしており、年に一度顕彰会が行われています。4月12日に、親切な地元の方、漁協の確か南さんに説明を伺って五輪塔を見学、お参りさせて頂きました。感激のあまり、ろくにお礼をいいこなしで退散してしまいました。改めましてお礼申し上げます。本当にありがとうございました。
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インフォメーション  

鳥羽市千賀町.パールロードを相差ICで降り、相差に向かう途中の畔蛸口で右折して約2キロ。鳥羽カントリーの南側

 


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