庚申祭りと薬師堂   ( 鳥羽市堅子町 )

伊勢志摩きらり千選
推薦のことば
かのえ申の日に6軒1組になり当番制で祭る。享保2年(1717年)から続いている。南方材1本で堂を立てたと云う。仏像は鎌倉時代のもの。(鳥羽市、77、男)
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2003−10−14撮影
江戸時代から続く庚申祭り
 民間信仰の1つである「庚申祭り」が,この堅子の地区に江戸時代から連綿と受け継がれています。

 堅子は戸数30,その内の6軒が組になり,干支の庚申の日に夜7時ごろから老人憩いの家に集まり,青面金剛像の掛け軸の前で6人揃って唱え事をし、その後は世間話で夜を過ごします。2ヶ月に1度集まり,1年で次の組と代わります。

この堅子で唱える文句は
 「庚申殿(こうしんでん) 庚申殿 参(まい)たり 詣(まい)たり 
  薩婆訶(そーわーか)(以上61回唱える)
  南無,庚申 青面(しょうめん)・金剛・童子(以上61回唱える)」です。

拡大表示では青面金剛の掛け軸のある祭壇の様子を載せています。

 庚申堂は堅子の宝珠寺の境内にあり,祠の中の石像には享保二年(1716年)とあります。屋根の正面には庚申と縁の深い猿の顔が飾られています。

庚申祭りは広辞苑によれば
「庚申の夜,仏家では帝釈天及び青面金剛を,神道では猿田彦を祀って,寝ないで徹夜をする習俗。その夜眠ると,人身にいる三尸(さんしん)が人の眠りに乗じてその罪を上帝に告げるとも,三尸が人の命を短くするともいう。中国の道教の守庚申に由来する禁忌で,平安時代に伝わり,江戸時代に盛行。庚申,庚申待,庚申会、御申待(おさるまち)など。」

更に詳しくはリンクをご覧ください。

2003−10−14撮影
2003−10−14撮影
慶応元年からの記録が
  慶応元年(1865年)からの「庚申賽銭帳」は庚申祭りが第二次世界大戦の4年間を除いてずっと続けられたことを示しています。

尚,表題の薬師堂は宝珠寺の裏手にあるお堂で,ここでは毎月8日の日に集まりがあり,庚申祭と同じように唱えごとの後,世間話になるということでした。

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