賀多神社と九鬼の千本杉   ( 鳥羽市鳥羽2丁目 )

伊勢志摩きらり千選
推薦のことば
A.志摩地方で2社しかない郷社の社格が与えられた、由緒ある神社である。ここの能面、能衣装、組立式能舞台は県指定文化財である。(鳥羽市、67、男)
B.この神社には一本の杉の古木がある。所謂「九鬼の千本杉」である。鳥羽城主であった九鬼嘉隆は文禄元年朝鮮出兵の際、日本丸を建造したが、その時ここの神木を船骨に使った。凱旋後神恩を謝して千本の杉を植えたと伝えられている。現在残っているのは、この1本のみである。(鳥羽市、67、男)
                      賀多神社2006-4-8
      (ポインターを当てて見る画像は)賀多神社本殿2015-10-17
賀多神社
  賀多神社は大変由緒ある神社で、幾多の変遷はあるもののおよそ1300年の歴史を持つお社です。 →境内の説明板
  境内には他に豊栄稲荷神社、戦死者の霊を祀った祖霊殿などがあります。

  賀多神社は鳥羽三町(大里町、岩崎町、本町)の氏神様で、鳥羽の春祭りでは山車を出し町内を巡り、昼間は他町の華やかな獅子の一行が境内で舞い、夜は地域の演芸会で、境内は人波で埋め尽くされます。


  遷宮祭
  2015年10月17日には遷宮祭が厳かに行われました。12:00に川原祓い、15:00遷座式と続く行事で、神職6名、氏子総代8名、式服に威儀を正した三町の氏子約40名の参加でした。→遷座式スナップ
境内に能楽舞台が
  境内には約160年以前に作られた組み立て式の能舞台があり、祭礼の際は能が演じられてきました。→組立舞台ついて

  また、能楽が盛んであった頃の能面、舞台衣装が数多く残されています。これらは鳥羽藩主稲垣長明氏(1829−65)の寄贈によるもので、現在、県の文化財の指定を受けています。  その一部を紹介。

  能楽奉納は1707年(宝永4年)に始まったもので、当時流行した悪疫を払うための神事踊りがきっかけになっているとのこと。


  奉納薪能
  2015年10月18日に遷宮祭を奉祝して奉納薪能が境内の舞台で行われました。その演目は、前半は地元鳥羽の小中高生による狂言、能楽サークルの仕舞が演じられ、後半はプロ能楽師による能楽「葵上」が上演されました。薪の燃え盛る境内での熱演に、観客は皆声もなく、引き込まれていた様子。
奉納薪能

  今回、組み立て舞台は3ヶ月前から各部の修理、鏡板の新製、全体の組み立てと進め、本番に間に合わせています。
この地域の底力というべきでしょう。
               能楽「葵上」で、鬼面となった六条御息所の怨霊2015-10-18
         (ポインターを当てて見る画像は)小中生の演ずる狂言「飛越」
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九鬼の千本杉
  九鬼の千本杉は賀多神社の鳥居の脇にある大木で,その由来は推薦者のコメント通りです。

  九鬼嘉隆は境内の大木を、朝鮮戦役の旗艦日本丸の竜骨として使用。帰還後、戦勝を報謝し、千本の杉を植樹。多くは伐採され、今も残る1本が、この杉とされています。

  嘉隆が戦役から戻ってきたのが1593年ですからおよそ400年の樹齢でしょうか。嘉隆は鳥羽地方が生んだ最も有名な戦国武将で,海戦に優れ、逸話も多く残されています。鳥羽の人々にとって郷土の誇りであり,この杉は嘉隆を偲ぶよすがとなっています。 

 杉の根元に明治時代の石碑「老杉の記」があり、由来が記されています。
  →石碑「老杉の記」


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インフォメーション  

鳥羽市鳥羽。賀多神社祭礼は4月第一土、日曜。

 

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