緒明干拓と大明東町など   ( 鳥羽市大明東・西町  )

伊勢志摩きらり千選
 

先駆者緒明菊三郎氏(1845〜1909)

 現在の大明(おあけ)町が生まれた経緯は推薦者の言葉通りです。

 緒明氏は貧しい船大工の子としての生まれましたが、幕末には榎本武揚に従い軍艦に乗り戊辰戦争にも参加した人物で、明治時代には造船業及び海運業を営んでいました。

 この加茂川の下流の浅瀬を埋め立て、ドック、倉庫等を建設し、7〜8000トン級の汽船を4〜5艘を横付けにし、参宮線も延長するといった大計画を立て、私費を投じましたが、当時の技術では難しく、緒明氏の死とともに途中で挫折しました。

農林省が農地用に干拓を完成

 その後、昭和に入り神戸製鋼所が干拓に挑戦しましたが、未完のまま戦争で中止、更に農林省が食糧増産を目的として1954年(昭和29)から干拓を始め、10年かけてやっと完成しました。

 しかし食糧事情の好転から農地利用は中止、そのまま放置されました。

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安楽島から見る大明町(写真:鳥羽市提供)

新しい鳥羽市の顔が生まれました。

 中心市街地には山地が迫り、長年、狭い地理的条件に悩んでいた鳥羽市が農林省に払い下げを申請、1970年(昭和45)に財団法人鳥羽市開発公社が払い下げを受け、公共施設利用地として利用されるようになったものです。

 広い敷地に市民体育館、野球場、市民の森、図書館などが次々と整備され,鳥羽市の新しい顔となりました。

 内容は加茂干拓地要覧(鳥羽市開発公社発行)に依りました。

インフォメーション  

鳥羽市大明西町、大明東町。

推薦のことば
  明冶36年緒明菊三郎氏により、埋立事業が始められた。しかし、泥の深い海に堤防を築く事は難工事で緒明氏が亡くなり中止された。
  戦後農林省により干拓事業が再開され、昭和39年に完成した。昭和45年鳥羽市に払い下げられ、大明東町・西町が誕生した。町名は緒明氏に因んで付けられたものである。 (鳥羽市、67、男)
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  あなた方のホームページの中に榎本武揚と函館に行ったとありますが同郷の上田寅吉(オランダの留学生開陽丸の日本人の建造者)に誘われましたがお父さんが病気になり東京に残ったので函館戦争には行っていません

  そして佃島の一銭蒸気船で大儲けをして又、榎本の推薦で4号お台場の、跡地を借りられ財産を築き昭和2年、2万坪の土地を買い昭和29年に三島市に安く払い下げて今もその一角に住んでいます三島駅の南口です楽寿園と言われています

  菊三郎のお孫さんは緒明太郎と言いますが24年前に亡くなりましたが太郎さんの奥さんは西郷隆盛のお孫さんで隆盛の9月24日の年期には、緒明さんも行かれるそうですが年頭なので、一番上席に座るそうです

  私のHPと中のブログを見ていただければ他のことも書いてあります。沼津市、戸田の文化協会の会長もしています。宜しく

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