見瀬辰平   ( 志摩市磯部町 )

伊勢志摩きらり千選
推薦のことば
  的矢湾において真珠養殖の研究を行い、明治後期に真円真珠形成法を発明し真珠養殖の発展の基礎をつくった。(磯部町、91、男)
見瀬辰平(1880〜1924)
  真珠の養殖は、御木本幸吉が明治26年半円真珠の挿核実験に成功した。 

  真円真珠の養殖は、明治33年に見瀬辰平と西川藤吉(御木本幸吉の義理の息子)がほぼ同時期に同じ方法で成功し 優先権争いが起こったが 両氏は共同所有の協定で納まった。
  今日の真珠養殖の方法は、この両氏によって確立されたものである。
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真円真珠発明頌徳碑
  この碑は、賢島の国立真珠研究所(開所1960年4月)にモニュメントとして玄関脇へ建てられていたが、同所が1979年2月に廃止となり、阿児町の長沢運動公園駐車場の一角へ移設された。更にこの碑は2008年賢島港近くの公園に移設されている。

  また、見瀬辰平は渡鹿野島の墓地に葬られている。(磯部町史)

 
  頌徳碑にある西川藤吉氏は1874−1909 明治時代の真珠研究家。明治7年生まれ。御木本幸吉の娘婿。農商務省技師。人工的に真円真珠を形成させる方法を研究し,その技術を完成。現在の真円真珠養殖の基礎をつくっている。明治42年6月22日死去。36歳。大阪出身。東京帝大卒。
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志摩市磯部町

 

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