嶋田青峰の句碑・的浦の句碑   ( 志摩市磯部町的矢 )

伊勢志摩きらり千選
推薦のことば
的矢神社の高台より的矢湾をながめ、筏につりさげられた的矢かきが育つのを句として詠った「日輪は筏にそそぎ牡蠣育つ」の句碑が的矢神社の境内にある。(磯部町、91、男)
「海うらら水平線は汽船を牽く」嶋田的浦は青峰の弟で青峰の句碑近くの、みんなの森に建立されている。(磯部町、91、男)
                                 島田青峰の句碑 2004-7-2拡大
島田青峰の句碑
  新興俳句運動の中心人物として知られている嶋田青峰は、志摩の的矢の人である。その句碑は的矢神社近く、的矢湾に面する高台にある

  青峰は1882年(明治15)この的矢に生まれる。青峰なる俳号は、故郷志摩の名山・青峰山よりとったもので、本名は嶋田賢平という。早大の前身、東京専門学校を卒業後、新聞記者となり、虚子の知遇を得て俳諧の道に入る。
 
  弟の嶋田的浦とともに、虚子の主宰する「ホトトギス」誌上に俳句を発表し、兄弟そろって俳人としての地位を築いていく。
   (三重歳時記〈1955年〉を参考)


  句碑の傍らの説明板をどうぞ。
  また句碑裏面の建立趣旨も載せています。
島田的浦の句碑
  的浦の句碑は、、的矢神社の裏手にある、みんなの森に建立されている。

   嶋田的浦は本名を襄(じょう)、1893年に的矢に生まれる。宇治山田中学、外国語学校を出、兄とともに高浜虚子に師事し、俳句をはじめる。

  1935年に兄青峰主宰の俳誌「土上」の編集に携わり、1941年俳句弾圧事件で「土上」廃刊となるまで続ける。

  大戦後日赤山田病院の事務局長の傍ら俳句の指導に当たり、1950年57歳で亡くなる。
  句碑の傍らの説明板をどうぞ。

                                 島田的浦の句碑 2004-7-2拡大
         的矢小学校跡地 2004-7-2
的矢小学校跡地は公園に
  的浦の句碑のある「みんなの森」は1946年に藤谷に移るまでの約74年間、的矢小学校があったところです。

  明治6年寺子屋が生まれ、同18年に的矢尋常小学校となり、以後明治大正昭和の激動の時代を通して、ここで学校教育が行われました。

   的矢の年配の方々にとって思いで深い大切な場所でもあるわけです。     1980年に全国植樹祭の事業で「みんなの森」として整備されました。

           (本項は、磯部町町史を参考にいたしました)

   みんなの森についての
園内の説明板を載せています。

  

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インフォメーション  

青峰の句碑は志摩市磯部町的矢区の高台(的矢神社の海側)にあります。
的浦の句碑は的矢神社の山側の「みんなの森」にあります。

 


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