伊勢の昔の歌   ( 伊勢市 )

伊勢志摩きらり千選
推薦のことば
「伊勢で名所は何じゃいな……、お杉お玉は間の山(あいのやま)……。」小学校5年の頃に聞いた事あり。調べてください。(大内山村、83、男)
お杉とお玉のこと
  推薦者が求めていらっしゃる昔の歌ではないのですが..お杉とお玉に関して..中川ただもと著 「伊勢の文学と歴史の散歩」の一部を紹介させていただきます。

  「尾上町」あたりから、登り坂になるが、この坂を尾部坂(おべざか)または「間の山」という。「間の山」というのは、両宮の間の山という意味で、昔「お杉・お玉」をはじめ女芸人がたくさんおり、袖乞い(ものもらい)をしていた。
  「お杉・お玉」の起源については、明らかではないが、江戸時代の井原西鶴は「西鶴織留」で次のように述べている。

 
−又 間の山の乞食、昔は遊女のごとく小袖の色をつくして、味曽こし
  提たるもおかし、其すがたには似ざりき。中にも、おたま・おすぎとて、
  ふたりの美女あって、身の色を作り、三味線を引ならし、あさましや
  女のすゑと、伊勢ぶしをうたひける。


  この間の山の「お杉・お玉」が三味線に合わせて唄ったのが「間の山節(伊勢節)」であった。その歌詞は、僧行基の作ともいわれ、次のようなものであった。

 
−我に涙を添へよとや、ゆふべあしたの鐘の声、寂滅為楽と響けども、
  聞いて驚く人もなし、花は散りても春はさく、鳥は古巣へ帰れども、
  行きて帰らぬ死出の旅、野辺より彼方の友とては、金剛界の曼陀羅
  と、胎臓界の曼陀羅に、血脈一つに数珠一連、これが冥途の友ぞか
  し。 
       
こんな話もありました
   また、鈴木敏雄著「越賀雑記」には[里人伝]として、次のくだりがあります。

 (前略)古市の町には見世物小屋や、客引きの動くぜんまい仕掛けの人形などがあって 珍しいものであった。又お杉お玉の三味線に合わせて歌う歌も名物の一つで一文銭を投げるお杉お玉の歌う歌では

縞さん紺さん浅黄さん、あさぎのもも
  引、 ひざ抜けさん
お杉お玉が百姓の子なら、かねの橋
  かきよ 宮川に
かねのはしかきや 雪駄がすべる、
  かけておくれよ板橋を

いせの豊久野のぜに掛け松は、
  今は枯れ木で くつかける


  お杉とお玉とは間の山路にいて 掛け小屋をかけ、赤毛布を腰掛にかけ、之に腰をかけて三味線を引きながら唄う。 旅客は顔にも一文銭を投げるが、首を左右に振って之を避ける。

  之が面白いのでどんどん投げる。之に興をそえて、上にあるようなお客を馬鹿にしたような歌を唄うので、旅客は一層之に文銭を投げることになる。(後略)
                            当時はこんな風だったのでしょうか?
         
       (伊勢参宮名所図会の部分を拝借、色付けしてみたもの。)
                            伊勢志摩きらり千選実行グループ作成
  

 
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インフォメーション  

間の山(伊勢市尾上町、古市通、尾上町バス停あたりからの登り坂周辺か?

 

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