大湊の歴史的造船街風景   ( 伊勢市大湊町 )

伊勢志摩きらり千選
推薦のことば
大湊では今造船の灯が消えつつありますが、秀吉が命名したと言われる日本丸を始め多くの名船がこの造船街から生れました。(伊勢市、70、男)
                        昭和38年ごろの市川造船所とその周辺 2015-6-2 
              (ポインタを当て見る画面)昭和50年ごろの市川造船所の様子 
歴史的造船の街
  宮川、五十鈴川、勢田川、三川の河口の三角州に形成された大湊は、古くから造船の町として栄えました。

  伊勢湾に面した天然の良港で、宮川上流部に豊富な原始林を持ち、木材を運ぶ舟運の便も良く、好条件に恵まれていました。

  戦国時代織田信長や朝鮮州兵をもくろんだ豊臣秀吉が鳥羽の九鬼嘉隆に命じ、数多くの戦闘船を作らせたことも有名です。→大湊の造船


  明治から大正にかけての大湊の造船業は動力化、大型化、船種の多様化に取り組んでいます.→新しい取り組み

  数多くの造船所のなかで優れた業績を残してきた一つが市川造船所です。白瀬中尉の南極探検の開南丸のベースとなった船なども有名です。
→市川造船所について  

   しかし1973年のオイルショック以降船舶の需要が落ち込み、造船所の倒産も相次ぎました。
大湊は街すべてが造船に携わり
  明治の初期の大湊は住民の大半が造船に携わり、周辺を海に囲われていながら漁業従事者が無いほど、造船に特化された街といわれています。
 左のグラフが示すよう、この時代のに大湊の戸数の約8割が造船の仕事です。

 職業の中で鍛冶職が一番多く、造船には鉄加工の技術がいかに重要であったかがわかります。

  別の町並み図(江戸から昭和へ)の資料では造船所名が29ヶ所、和釘製造者名が55ヶ所も示されていました。

           明治初期の大湊町の職業 2015-6-10 拡大
                              当時の船加工の道具 2015-6-5
                   (ポインタを当て見る画面)当時の水深測量の道具類
当時使用の道具類など
  左の写真は木造船には欠くことのできないマキハダ。

  「ヒノキなどの樹皮を砕き繊維としたもので、船の水漏れを防ぐために木材の合わせ目やつなぎ目に打ち込んで使用する」とありました。

  (ポインタを当ててみる画面)は船から水深を測る道具類です。その先端のくぼみは海底の材質を採取するためとか。

  本ページの内容はすべて、2015年伊勢市教育委員会主催の企画展「大湊のこと、造船のこと」によっています。

  もととなった資料は市川造船所で代々受け継がれてきた、膨大な数の船具資料、船舶設計図面、事務文書などで、市川造船の関係団体から伊勢市が寄贈を受けたものとのこと。今回の展示はその一部です。

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伊勢市大湊町

このページのマップはかって市川造船所のあったところを示しています

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